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Category対話と哲学

レビュー 『ゼロからはじめる哲学対話 哲学プラクティスハンドブック』

 哲学プラクティスについて何か知りたいなら、しのごのいわず本著を手にとるべきである。  正直なところ全体的な感想を言うのはかなり難しい。というのも多くの執筆者によって書かれ、多岐にわたる実践の指南書であるために、一部は玉石混交だからである。一つの読み物と言うよりは、哲学プラクティスの辞書だと思って、調べたいことがあったら該当箇所を読んでみるというふうに使うのがいいのではないだろうか。それが手引き(ハンドブック)として用いるべき本の役目であろうから。  さて、私の印象に残ったもので、おそらくは多くの人にはあまり注目されることがないであろう4つの点に短く触れておくことにしよう。一つは、対話の「記録の仕方」3章4(p142)、二つ目は「知っておきたい哲学のテーマの概説」4章(p197)、三つ目は、「付録:倫理基準」5章4(p336)「付録:オンラインによる哲学プラクティス」5章5(p344)。...

日本語で書かれた哲学対話の8つの必読本から考える、現代日本の哲学対話のまとめと歴史

哲学対話や哲学カフェに関心を持つ人に、ぜひ知ってもらいたい日本語の本がある。これらを通じて、哲学対話には、自前の言葉、自立した活動、自由な思考、自然な問い、が重要であることを知ってもらいたいと思っている。 現代日本の哲学対話の歴史 中島義道『〈対話〉のない社会』1997.11  授業中の私語、管理放送、標語など言葉の氾濫に対して戦ってきた著者の体験、また日本の文学作品に見られる会話、これらの考察を通じて欠けているのが対話であると指摘し、優しさや思いやりが圧殺しているのは対話であるとを訴える。対話の「敵」が何であるかを明らかにした点が特徴的である。...

哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信...

対話への誘い 2

承前  対話への誘い 批判したり同調したりするだけでなく、遠近を正確に見極めること 発表の題材はアキナスの「他者への無限責任」です。実は私は「他者への理解が根底の所で閉ざされているのは何故なのか。それにも関わらずどうしてそのような他者に対して責任を私が負わねばならないのか。」という問いをもっています。そこを中心に議論・対話をしたいのです。というのも、私のこれまでの経験や性格から思うところがあり、やはり「他者」というものは考えれば考えるほど異様で、全く自分とは別の「意識存在」であり、無視することができず、何故かいつも自分に迫って来ている。そのような「絶対他者」の前で、自分はなすすべもなく、翻弄され、そしていかなる時でも「応答」をしなければいけない。これは一体どういうことなのか。…...

哲学対話は簡単か?

哲学や対話は、子どもにとっては簡単であるが、大人にとっては難解である。このことを言い続けているのだが、どうも伝わっていないのであり、それを伝えるのによい素材記事を見つけた。 家庭でできる哲学対話に挑戦したら……我が子の「実はこう思ってた」に驚いた! 上の記事を引用しながら、それに対してコメントすることで、よく理解してもらえよう。 1 哲学は難解でわたしたちの日常とは縁がないのはもっともである まず、“哲学”と聞いて何を思い浮かべますか? 「難解」「変わり者の学問」「実社会では役に立たない」「成績に結びつかない」……、このように、わたしたちの日常とはあまり縁がないように感じている方も多いのではないでしょうか。たしかに、大学で専門的に学ぶいわゆる“学問としての哲学”には、そのようなイメージがありますね。...

対話への誘い

夢でのメール  不思議な夢を見た。私は誰だか知らない哲学の師を慕っており、対話を在野で研究している。私の師は哲学教室アレクサンドリアを主宰しており、哲学の専門家たちが、どこか殺伐とした雰囲気のその教室で毎回講義を行なっている。あまり議論や対話の場は設けられないことに、私は何も疑問を感じていない。  私はその生徒に過ぎないというのに、師はある日、哲学を志す或る新入りの生徒「根尾井さん」に対し、私に哲学対話について尋ねるように言ったという。そういうわけで私は根尾井さんから、哲学教室アレクサンドリアで哲学の発表し、対話をするにはどうしたらいいのか、という相談のメールをもらった。私は師を忖度することもせず、そのメールに返信をしたという夢であった。  夢であったとはいえ、考えてみたところそれが現実であったとしてもおかしくはない。そこで、そのメールへの返答を、以下に記しておくことにする。...

忙しさの中で小さな精神の訓練をすること

 ところで、探究のために文章を書いていて、ふと浮かんできたことを逃さないように書いておこうと思う。それは休む間もない労働の中で、会議だの報告だの文書作成だの投資契約だので、人々に分かるような表現の仕方を与えることを常に強いられるために心に浮かんできたものだ。それは、人に分かってもらえそうにないことを、書かずに排除しようとしたことだ。書いてしまうとややこしくなり、人々はそのような難しいことを時間をかけて考えはしないために、そうした表現をしないで分かるように、分かる範囲のうちで、正確さや微細さを軽視しながら、それとなく、人々がわかった気になりそうな言い回しや説明の順番を与える。労働する環境ではそのような表現を強いられる。そして、わかりにくく、曖昧で、微妙で、時間をかけて考えることを、表現のうちから除去するように強制される。...

哲学のプロはありえない?

哲学にはプロやアマはあるだろうか。草野球や草サッカーがあるように、草哲学がないはずがない。プロ野球やプロサッカーと同じように、哲学もまたプロ哲学があるとしたら、それはアカデミズム哲学やジャーナリズム哲学のことであろうが、それらは果たして褒められるべき哲学であろうか。 ところで、素人や玄人、良し悪しがあるかもしれないことは、「なぞらじ」で話されていた。 「プロ」と哲学者とアカデミズムの問題に関するツイート 世すぎのために金をかせぐのが、どれほどの卑しいことであるか知っている人は少ない。 世すぎのために金をかせぐのは本来卑しいことだ、という感覚を、つねに忘れないようにしたい。「プロ」というのは、はたして褒め言葉であったろうか。— TANI_Röhei@赭埴庵 (@Taroupho) May 31, 2020...

『ウソつきの構造』からの考察 哲学対話のルールに則るだけなのはウソつき?

ルールに則るだけの哲学対話はウソつきの哲学対話か? 中島義道『ウソつきの構造』を哲学対話という観点から考察するならば、二つの観点①ルールに則るだけの哲学対話②子どものウソつきの習得が重要になるだろう。この書が哲学対話に対して提起しうる問いは、ルールに則るだけの哲学対話には如何程の価値があるか、であろう。 『ウソつきの構造』〜法と道徳のあいだ〜 中島義道 角川新書 2019年10月  哲学の領域に限っていえば、著者によって何度も繰り返し論じられているテーマが再び扱われている。参考は以下。 カントの「悪」論 (講談社学術文庫悪への自由: カント倫理学の深層文法真理のための闘争—中島義道の哲学課外授業 ...

フーコー『主体の解釈学』の対話のやり方(その二) 「我思うゆえに我在り」は自己の存在を意味しない

承前 (その一)「汝自身を知れ」は自己認識を意味しない B 省察は主体の思考に対する働きかけではない。思考の主体への働きかけである。 引用 p404 省察は誤解されている  ここでひとつの概念が出てきます。この概念についてはいずれまたもう一度お話しするつもりですが、今日も少し立ち止まってみたいと思います。それは「省察(méditation)」という概念です。ラテン語のメディターティオ meditatio (その動詞形は meditari)はギリシア語の名詞のメレテーmelete の翻訳であり、その動詞形はメレターン meletan です。このメレテーやメレターンという語は、少なくとも十九世紀や二十世紀の人間が「省察」というときに考えるような意味をまったく持っていませんでした。メレターンとは訓練のことです。それは、「訓練する」とか「熟練する」といった[意味を持つ]ギュムナゼイン...

thethirdman

Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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