fbpx

人気の記事

過去の記事

Latest stories

大森哲学のグロテスクとやりすぎ

中島 義道 – 単行本 生き生きした過去 大森荘蔵の時間論 p123 ここまで「立ち現われ一元論」をたどってきて、あらためてなぜ大森先生はこれほど世界をグロテスクなものとして見ていたのだろうか、という単純な疑問が湧きます。初めはそれしか知らなかったので、「そんなものか」という程度の印象しかありませんでしたが、その後数々の哲学理論を学ぶにつれて、これほどグロテスクな哲学理論も珍しいものだ、ということがだんだんわかってきました。学生時代に先生にどのように哲学をするべきか、尋ねたことがあります。すると、意外な答えが返ってきました。  やりすぎることです。直感的にある考えが正しいと思ったら徹底的にやってみる。毛沢東のように、やりすぎなければ革命はできません。 ...

瞑想断乳法

約三週間程前、諸事情あって私が断乳を担当した。なかなか精神も肉体もボロボロであったので、ねつかない子に、苦し紛れに瞑想で応対したら、それが上手くいったのだった。そこで、日々呼吸を見る瞑想をしていて、断乳をどうしても担当しなければならず、子供が泣きやまして自分が眠りにつきたいと思っている誰かがいつか見るように、次のことを伝えておきたい。...

哲学的な人ほど相手との対話を重んじたがる軽率な理由

そういう考えもあるとは思いますが、私とは考え方が違います。また、最初のツイートには「哲学対話が社会にマッチすることは、これからも永遠にない」みたいな断定が含まれているのですが、何かを断定したいなら、しっかりとしたデータや根拠をまずは提示するのが最低限必要ではないでしょうか?— 山野 弘樹 / Hiroki YAMANO (@Ricoeur1913) August 12, 2021 どこの馬の骨かもわからぬ私のような犬のごとき哲学者に対し、非常に丁重に御返事をいただきありがとうございます。誠に感謝の念に耐えません。研究者などの非常に真面目一徹な方には、はじめにお断りしなければなりませんが、弊ツイートの芸風を、予め必要以上にご承知いただき、思考の漏れなきよう対話を致し賜ればと存じます。 私からは2点質問があるのですが、お答えできる範囲でお答えいただくようお願いできますでしょうか。...

中畑正志『はじめてのプラトン』レビュー

 非古典研究者によって書かれたプラトンについての概説書や入門書は読むどころか見るに耐えないものばかりだが(例外は『プラトンと資本主義』くらいか?)、古典研究者によって書かれたプラトン入門書はどれを読んでも、いろんな意味でおもしろい。本書もまた後者の一つであって、とくに対話篇論と魂論が印象的だったが、個人的には、イデア論をさらに考えるために設けられたコラム3(p242)がとくに魅力的であった。というのもイデア論の申し子、第三の人間論が論じられたも同然であったからである。...

カント『プロレゴーメナ』より、笑える一節

プロレゴーメナ・人倫の形而上学の基礎づけ (中公クラシックス)   カント pp8-9  形而上学が学問であるなら、形而上学が他の諸学問のようには全般的持続的な承認を得られないといったことがどうして起こるのだろうか。また、形而上学が学問でないのなら、形而上学が学問であるかのようなふりをして、たえず気取った様子を示し、人間の悟性を欺いてけっして消えることのない、それでいて満たされることのない希望をいだかせるといったことがどうして生じるのか。そこで、われわれにとっては、自分の知を論証することになるにせよ無知を論証する...

哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信...

哲学を必要とする時代の「哲学」とは?

Q. 1哲学のない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だという一文からひかりさんが感じたことを教えて下さいQ. 2日本における哲学を勉強する人数、国民への浸透度は50年前程度と比べて上がっていると思うか下がっていると思うか#桜川ひかりに哲学のことをきいてみた— 涼太✂︎ (@Ryotamoru) August 26, 2020 哲学を必要とする時代の「哲学」は幸福である、と私は皮肉をもって述べたいのですが、そのことを再度、かつて書いた記事を少し書き換えることで、主張したいと思います。 はじめに:自己批判の欠如している読者に対する警告...

ディオゲネスについて、ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』からの引用

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝(中)』岩波文庫  (第6巻 第2章) ディオゲネスとプラトン p131-133 (二五)  またあるとき、プラトンが贅沢なご馳走の並んだ食事の席で、オリーブの実にだけ手をつけたのを彼は目にして、「賢者であるあなたがシケリアへ渡航されたのは、まさにこういう料理が目あてであったのに、いまこうしてたくさんの料理が目の前に並んでいるときには、あなたがこれを味わおうとされないのはどうしたわけかね」と訊いた。そこでプラトン...

明るい秘密

明るい秘密ということがある。通常、秘密は暗いものと考えられているが、それはひとが公にできない、他人に知られたくない事実を隠しているからである。隠されている秘密の事実は、それが事実として皆の前に明らかにされる なら、直ちに誰にでも明白な事実として隠れる術もなく白日のもとに露呈されるであろう。けれども明るい秘密とい うのは、事実としてはなんら隠れるところもなく公共の地平に晒され隈なく露呈されていながら、目の前にある事柄 に人びとが気がつかない、といういみでの秘密である。 哲学が本来明るい秘密の探究であったことは、プラトン『ソピスト』254a8-10 「(ソピストがその棲む場所の暗さのゆえに捉え難いのに対して)...

Your sidebar area is currently empty. Hurry up and add some widgets.