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大森哲学のグロテスクとやりすぎ

中島 義道 – 単行本 生き生きした過去 大森荘蔵の時間論 p123 ここまで「立ち現われ一元論」をたどってきて、あらためてなぜ大森先生はこれほど世界をグロテスクなものとして見ていたのだろうか、という単純な疑問が湧きます。初めはそれしか知らなかったので、「そんなものか」という程度の印象しかありませんでしたが、その後数々の哲学理論を学ぶにつれて、これほどグロテスクな哲学理論も珍しいものだ、ということがだんだんわかってきました。学生時代に先生にどのように哲学をするべきか、尋ねたことがあります。すると、意外な答えが返ってきました。  やりすぎることです。直感的にある考えが正しいと思ったら徹底的にやってみる。毛沢東のように、やりすぎなければ革命はできません。 ...

カント『プロレゴーメナ』より、笑える一節

プロレゴーメナ・人倫の形而上学の基礎づけ (中公クラシックス)   カント pp8-9  形而上学が学問であるなら、形而上学が他の諸学問のようには全般的持続的な承認を得られないといったことがどうして起こるのだろうか。また、形而上学が学問でないのなら、形而上学が学問であるかのようなふりをして、たえず気取った様子を示し、人間の悟性を欺いてけっして消えることのない、それでいて満たされることのない希望をいだかせるといったことがどうして生じるのか。そこで、われわれにとっては、自分の知を論証することになるにせよ無知を論証する...

哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信...

ディオゲネスについて、ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』からの引用

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝(中)』岩波文庫  (第6巻 第2章) ディオゲネスとプラトン p131-133 (二五)  またあるとき、プラトンが贅沢なご馳走の並んだ食事の席で、オリーブの実にだけ手をつけたのを彼は目にして、「賢者であるあなたがシケリアへ渡航されたのは、まさにこういう料理が目あてであったのに、いまこうしてたくさんの料理が目の前に並んでいるときには、あなたがこれを味わおうとされないのはどうしたわけかね」と訊いた。そこでプラトン...

明るい秘密

明るい秘密ということがある。通常、秘密は暗いものと考えられているが、それはひとが公にできない、他人に知られたくない事実を隠しているからである。隠されている秘密の事実は、それが事実として皆の前に明らかにされる なら、直ちに誰にでも明白な事実として隠れる術もなく白日のもとに露呈されるであろう。けれども明るい秘密とい うのは、事実としてはなんら隠れるところもなく公共の地平に晒され隈なく露呈されていながら、目の前にある事柄 に人びとが気がつかない、といういみでの秘密である。 哲学が本来明るい秘密の探究であったことは、プラトン『ソピスト』254a8-10 「(ソピストがその棲む場所の暗さのゆえに捉え難いのに対して)...

生きるに値しない生とマルクスアウレリウスの火

生きるに値しない吟味のない生 プラトン全集1 『ソクラテスの弁明』田中美知太郎訳 38a またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら(dialogounmenou)、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、こう言っても、わたしがこう言うのを、諸君はなおさら信じないであろう。しかしそのことは、まさにわたしの言うとおりなのだ、諸君。ただそれを信じさせることが、容易でないのです。  また同時に、わたしとしては、自分がとうぜん悪を受くべきものであるというような考えには少しも慣れてはいないということもあります。 ギリシャ語原文、英訳  マルクスアウレリウスの火  マルクス・アウレリウス『自省録』4章1節...

『ウソつきの構造』からの考察 哲学対話のルールに則るだけなのはウソつき?

ルールに則るだけの哲学対話はウソつきの哲学対話か? 中島義道『ウソつきの構造』を哲学対話という観点から考察するならば、二つの観点①ルールに則るだけの哲学対話②子どものウソつきの習得が重要になるだろう。この書が哲学対話に対して提起しうる問いは、ルールに則るだけの哲学対話には如何程の価値があるか、であろう。 『ウソつきの構造』〜法と道徳のあいだ〜 中島義道 角川新書 2019年10月  哲学の領域に限っていえば、著者によって何度も繰り返し論じられているテーマが再び扱われている。参考は以下。 カントの「悪」論 (講談社学術文庫悪への自由: カント倫理学の深層文法真理のための闘争—中島義道の哲学課外授業 ...

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