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ディアロギヤ@カンボジア<その三>

ポストダイアローグ

カンボジアBBQ/メタダイアローグ

 そんなこんなで多分2時間程度で対話を終えた。その後、全ての学生とN氏の二人の子供とともに少しばかり離れたレストランに行って、カンボジアのBBQを食べ、お酒を飲んだ。

 本当はその場でメタダイアローグのようなものができればと思っていたのだが、お酒も入ったし子どもたちもいたのでそういう雰囲気にすることは私にはできなかった。けれども、レストランに行くトゥクトゥクのなかで、Bくんが哲学対話にとても興味を持っている、と言ってくれたことは嬉しかった。嬉しかったのに、彼が話してくれた内容のことを忘れてしまったが、対話の方法についてのもので、対話をどんなふうに導いていくことが正しいのか、というような質問だった。私は、それはなかなか難しい問題で、何が正しいということが一概に言えないというのが正直なところであり、対話されているのかが何であるのかをよく聞いてどの論点を取り上げどの論点を保留にしておくかを決める自分なりの正しさの基準を見つけるしかない、というようなことを言った。私の返答が彼を納得させていないのは分かっていたのだが、正直に言うしかあるまい、と思ったので、経験していくしかないよね、と言った。

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トゥクトゥク

 メタダイアローグのようなことはできなかったと言ったが、今回の哲学対話のどんなところがよかったか、と尋ねることはできた。N氏は、授業中にはほとんど話したことのない学生が活発に話していて驚いたことを教えてくれた。

 私がDさんの発言をずっと考えていたこともあってか、私は彼女が、してはいけないことについて論理的と道徳的の区別があることが学べたのが面白かった、と言ったのを覚えている。私の観察する限りでは彼女はその区別に納得していない様子であったが、彼女にとっても、その二つの区別ができるかどうかは興味深いことなのだろうな、と推察した。また、AかBが、話そうとしたことはなかったけれども、実は他人が自分と同じような問題を感じていることが分かってとても新鮮だったと話したことも印象深かった。

 問うべきではない問いは何かをテーマに哲学対話をしてみようと考えついたとき、教師を困らせるような質問をしてはいけない、という論点が出てくるであろうと予測していたが、それはまったく触れられなかった。そのような予想をしていたのはM氏かN氏からそれらしき話を聞いたからであったが、ともかく、今回経験した対話の中では問うべきではない問いとしては挙げられなかった。とはいえ、飲み会のときには学生のみんなが、大学には哲学対話のような時間が必要だ、哲学対話のような時間はあってほしいと言っていた。というのも、カンボジアの大学では、日本の大学ほど一般的にゼミの時間が設けられないらしいのである。なるほど、それはそうだろうな、と思った。

2020年 トゥール・スレン博物館 [Tuol Sleng Genocide Museum] は ...
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トゥールスレン虐殺犯罪博物館を連想したこと

 はなはだ的外れであり、さらには礼節を欠くものにもなってしまうので、そのとき連想したことを私は口には出さなかったが、AさんやBくんが問いには強制力があると言ったことは、私に「拷問」を思い起こさせたのだった。カンボジアの首都プノンペンには、おそらくはアンコールワットに並ぶと言うべき世界的な観光地、トゥールスレン虐殺犯罪博物館がある。私は前日にそこを訪れていた。訪れた直後は食べ物が喉を通らないほどにショッキングだったが、他方では、こう言っては不謹慎なのではあるが誤解しないでもらいたい、次の点に非常に興味を注がれた。それは看守達(虐待する側)が極めて理性的な仕方で自白を強要するために拷問をしていたことである。彼らの拷問を詳細に記述するだけの能力と資格が私にはないが、自白の強要、拷問の主たる目的の一つには、被虐待者の記憶の変造があった。そのために、看守は理性的でなければならず、感情に任せて虐待したり自白するのに役立たない行為は厳しく禁じられていた。自分勝手な拷問をして自白をさせることができないままに殺してしまった場合などは、殺してしまった看守が収容者(つまり被虐待者)になった。自白を徹底するため、私情を交えない最も効率的な拷問が追及された。そのために看守には自己批判の時間と集いが設けられ、さらにそれは詳細に記録されたのであった。

 何が興味深い(不謹慎なのであるがそのように表現するのが正しいのだ)かといって、虐待者は被虐待者の感情を一顧だにしなかっただけでなく、自らの感情を反省し自己批判的になって記録せねばならなかったということである。そのために用いられたのが理性であり、反省・自己批判・記録はそれを支えるものであった。アウシュヴィッツを経験した第二次世界大戦後のヨーロッパには、これに類似のことに関しての膨大な議論の蓄積があることを私は知らないわけではなく、身近なY先生がそのことをしばしばとりあげているので気にしないわけでもなかったが、改めてそれらのことが何を問題としているのかが体感的に分かりかけてきた気もしたのだった。

哲学対話の居心地の悪さ

 後日、N氏とAさん(彼女はTAのようなことをやっているらしい)は、我々の行った哲学対話について話したらしい。Aさんは、結論もまとめもないのはちょっと締まり悪いと言っていたとのことだ。またN氏も似たような感想をもっていると同時に、ちょっともったりした雰囲気は、普段自分がいることのない環境なので、なかなか新鮮だそうである。どちらの感想もとても嬉しいものだ。Aさんはおそらくは我々参加者の中で最も英語が堪能であったことも影響して、対話の最中にも、通訳をしたり、ちょっとした議論の整理をしてカンボジアの学生と私たちとのコミュニケイションを円滑にしてくれた部分がある。結論やまとめやリフレクションというのを普段から自分で訓練のようにやっているのだなというのが、私もそういう傾向があるから、外から見ても分かった。そういう人にこそ、哲学対話の居心地の悪さ、違和感をずっと持ち続けてほしいと思うし、自分も持ち続けたいと思う。この展開はこうじゃないのか、あの発言はあんな意味じゃなかったのか、どうしてあの発言のことをもっと深く追求しないのか、その問いはそんなに重要なことなのか、、、こうした対話の中で出てくる数々の疑問を疑問のままにとっておいて何度も反復する疑問には自分で答えるように努めることは、望ましいことであろうと私は思う。しばしば哲学対話では答え探しをしないこと、問いを出すことばかりが強調されるが、対話の中で感じた疑問に、自分なりの答えを探し求めてもよいばかりか、それは不可欠であると思う。その点で、Aさんは、締まりが悪く物足りなく思うことを通じて、哲学対話をよく理解しているというより、実践してくれているのだろうな、と思う。今度また会うことができたら、その違和感は君が哲学対話をするのに不可欠なものだと伝えてあげたいとは思う、少しお節介だが。

古代遺跡アンコールワットが旅人の訪問を待っているように、子どもの問いも哲学の訪問を待っている

 哲学対話を終えた次の日、私はカンボジアといえばこれ、というアンコール遺跡群公園へ巡礼に行った。もっとも、人々はそれを観光と考えるかもしれないが、観光にはおよそ似つかわしくないストイックさと理不尽さとが私の旅には伴う。不幸にも私とともに旅した者が、私のかくのごとき旅を揶揄し「観光ではなく巡礼だ」と言ったことを私は名誉なことだと受け取り、私は「巡礼」という言葉を用いることにしている。

 アンコールワットがかつてクメール人の都として切り開かれたことに関しては研究が進められているが、全世界に観光の都として切り開かれることになったのは、19世紀終わりのフランス人旅行家アンリ・ムオの記した「アンコールワットの「発見」」以来である。アンコールワットを密林の只中に発見した彼はこのように書いている。

 かくも美しい建築芸術が森の奥深く、しかもこの世の片隅に、人知れず、訪ねるものといっては野獣しかなく、聞こえるものといっては虎の咆哮か、象のしゃがれた叫び声、鹿の鳴き声しかないような辺りに存在しようとは、誰に想像できたであろう。
 われわれはまる一日をここの見物に費やしたが、進むにつれていよいよ素晴らしく、ますます酔わされてしまった。  ああ! 私にシャトーブリアン、ラマルチーヌにも匹敵する筆力、あるいはクロード・ロレンのような画才が恵まれていて、このおそらくは天下に比類を見ないと思われる、美しくもまた壮大な廃墟の姿がどのようなものであるかを知人の芸術家たちに示すことができたなら。それは今はすでに亡びた一民族の唯一の遺跡なのであるが、その名さえ、この民族の名を高からしめた偉人、芸術家、政治家の名とともに、塵埃と廃墟の下に深く永久に埋れてしまおうとしている。

amazon kindle 第18章 位置1736/2407 アンコールワットの「発見」(カンボジア篇) Classics&Academia アンリ・ムオ https://www.amazon.co.jp/dp/B07BQP7SQD/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_BdTFEb2Y4RSG1

 私にとってのカンボジアでの哲学対話は、ひょっとするとムオがはじめてアンコールワットをみつけたときのようなものにも似ているかもしれない、と考えてみたい誘惑に駆られる。とはいえ、ムオのように、偉人や芸術家や政治家がかつて君臨したクメール文明のごときカンボジアの哲学が存在するということを、私は世界に知らしめたいと思っているのではない。そうではなく、私がムオと共有するのは「森の奥深く、しかもこの世の片隅に、人知れず、… 存在しようとは、誰に想像できたであろう。」という驚き、そして「塵埃と廃墟の下に深く永久に埋れてしまおうとしている」との洞察である。これはじつはあらゆる古代遺跡と子どもの問いに共通に言えることかもしれない。

 古代遺跡は、それが発見されるまで、森や海や砂漠の奥深く、あるいはもはや現代の地層に覆われて、あたかもこの世の片隅で訪問者を待ち続けている。そして、もしも誰もまさかそんなところに古代の遺跡があろうなどとは想像せず、永久に塵埃と廃墟の下に埋れていく。子どもの問いも、これと同じかもしれない。記憶の奥深くに沈み、日々の生活に覆われたまま、哲学の訪問を待ち続けているかのようなものだから。古代遺跡と違うかもしれないのは、子どもの問いは、永久に塵埃と廃墟の下に埋れていく数が圧倒的だということだろう。

(終わり)

The Third Man(木本)
The Third Man(木本)

Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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