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アンコールとの対話の回想断片

アンコールワット

 朝5時にSornという名のドライバーにホテルに迎えに来てもらう。彼は昨日シエムリアップ市のバスターミナルにプノンペンから到着したときに話しかけてきたトゥクトゥクドライバーである。

https://www.facebook.com/say.sorn

バスターミナルからアンコール遺跡に近い繁華街までは、歩いて行くことはできない。しかもすでに夜8時で暗くなっていたのでトゥクトゥクを使ってホテルまできたのだった。たった1日の限られた時間で多くの遺跡を回るにはトゥクトゥクをチャーターする必要があった。それも英語ができてこちらのわがままをよく聞いてくれそうな感じのドライバーでなければ私の思うようなアンコール遺跡巡礼ができない。ともかく、バスターミナルからホテルまでの分、及び明日1日のチャーター分とで、全部で30USDということで手をうったのであった。

 日が昇っていない真っ暗な中、トゥクトゥクの後ろに乗って風を受けると寒い。半袖半ズボンの虫取り少年みたいな格好なのだから。しかし、これが日中になるととんでもなく暑くなるのだろうなあ、と思うと、なぜかこちらの胸も熱くなってアンコールワットをはやく見たくなる。だいぶ飛ばしているがなかなか辿りつかないつかないところをみると、そのアンコールワットの規模の大きさにこれまた胸が膨らむ。

 はじめにチケット売り場に行ってチケットを買う。1日しか私には時間がないので当然1日券37USDを購入。ちなみにチケットには3日券62USD, 7日券72USDとあるが、(参考リンク アンコール遺跡公式ページ) アンコール遺跡とは、ようするに、それくらい時間をかけてみるべき大規模なものなのである。やはりコロナの影響で人はほとんどいない。が全くいないわけではない。3、4人くらいが、私とは別のチケットオフィスで券を購入していた。

 再びトゥクトゥクに乗ってしばらく走り、他のトゥクトゥクや車などの乗り物の光が集まってみんなが下車しているところで私も下ろされる。ここからは歩いて行ってくれ、まだ5時半ぐらいだけど日は6時くらいにのぼり、アンコールワットを見学したら8時くらいにはなるから8時半にもう一度ここで待ち合わせだとドライバーに言われる。

 そして真っ暗な森のような林のようなところにある小さな道を、何人か追い越しながら足早に私は歩いて行く。どうやら大きな橋のところまで来たらしい。チケットの確認をされる。アンコールワットはこっち、ということで案内されたが、全然建物は見えない。橋を渡って歩いて行くと、建物がほんの少し見える。全貌は暗くて見えないので、なんとでかいのだろう、と想像する。さらにその建物のを通り過ぎ、前の人がやっているのと同じようにホースらしきものに沿って歩いて行く。そうすると、ちょっとした池のようなものの周りに人だかりがすでにできている。30人くらいだろうか。もうすでに人がいる。コロナウイルスのために今はほとんど人はいないが、これが通常だったら、どうかしたら1000人くらいがアンコールワットの日の出の写真を取ろうと待ち構えている場所だそうだ。ともかく池の目の前に私も座ることができたので、とりあえず日の出を待つ。けれども、正直なところ日の出を見ることに興味もないし、日の出の写真を取ろうとも思っていないのだが、他には何も見えないしすることもないので、そうしてみた。

 さて、だんだんとあたりが白くなり影のようなアンコールワットが姿を現し始めるその直前に、セミが大合唱をし始めた。さながら歓喜の歌。アンコールワットにきた人をか、それともアンコールワットにのぼる太陽をか、歓待しているかのようである。「アンコールワットに今日もまた日が昇る、お天道さん、ありがとう」本当にそう聞こえるかと思ったが、自分の詩才のないのに絶望する。セミの合唱の方が遥かに感動的で、アンコールワットとその奥に見える日の出はそれほど印象的ではない。太陽がもっと昇るまで見ていてもよかったが、あたりが十分に白くなりようやくその大きな大きな姿を見せたアンコールワットは、ほどなく私を吸い寄せた。こんな大きなものが夜によって隠されていたなんて。

 門をくぐり、回廊に入る。回廊の背は低く幅も狭い。古代人は小さかったんだなとか思う。しかしながら回廊を出て台石と他の回廊や塔の壁に囲まれると、谷底に落ち込んだかと錯覚する。堅牢な石の建物がそびえ立ち、そこここにある彫像が私を見下ろす。それらのすべてのものが、かつては、装飾を施され、色を持っていたことを想像すると、そんなものは見えやしない幻覚が見えて来るかのような気分になる。妄想が湧き立ち始める。神官や身分の高い人々が神聖な儀式を執り行うために、私が今いる場所にいたのかもしれないのだ。彼は、彼女は、ここにいて何を考えていたのか。何を見たのか。何を聞いたのか。こうした妄想を伝える文才がないのがまたもや悔しいが、スケールの大きさと壮麗さが駆り立てる想像力が妄想を引き起こして夢や幻へと私を引き連れていくのを抑えようとして、私は息をのむ以外になす術がない。ペルーのマチュピチュ、ヨルダンのペトラ、エジプトのギザ、ギリシアのパルテノン神殿などの記憶を手繰り寄せても、これほどのものを感じなかったかもしれない。

 一番高いところに昇る階段はとても急だ。現在は観光者のために木製の階段が備え付けている。それでも急すぎるので安全上の理由から年寄りや妊婦や子供は昇ることが禁じられている。それほど急なその階段を、かつての人は手すりもなしに昇り降りしていた。そのことを考えて、降りるだけのものを持ち合わせていないと昇ることはできないのではないか、という問いを不意に思いつく。アンコールワットにいた王は自らが神であること示すために毎日その階段を登っては降りてくるという儀式をしなければならなかったらしい。王が階段昇らないが来たとき、それは死を意味したそうである。しかし死んだ後はその一番高い場所に埋葬されたという。だとすれば、最終的には登っても降りて来なくてよかったことになるではないか。いや、自分で登ったら自分で降りてくる、ということが重要なのか。そうであれば、自分で登るものは自分で降るだけのものを持ち合わせていなければならない、ということなのか。高所恐怖症の私は、恐怖を抑えるのに、そんな問答をしなければ、階段を降りることはできなかったようである。

 再び回廊をまわり、壁画や彫刻をみたり、塔から見える景色を見たりしながら歩き回る。アンコール遺跡群公園のうちもっとも大規模なアンコールワットをそんな感じで1.5時間程度で巡り終えた。もう少しゆっくり見たいとも思ったが、できるだけたくさんの遺跡を巡ろうとこの間に決意し、ドライバーとの待ち合わせ場所に行ってみる。まだ7時半にもなっていなかったのでドライバーはそこにはいなかった。なので近くの物売りのやつに、ドライバーの電話番号を伝えて、今から来るように言ってくれと頼むと20分程度で来てくれた。

道順

 アンコール遺跡群は相当広い範囲に及ぶが、やはりみるべきところは決まっているので、grand circuit(大回り)とshort circuit(小回り)と言われる順路で遺跡をめぐるのが普通である。参考(https://angkor-travels.com/html/angkormap.php) 私の場合は、かなり早く歩けるのと、どれだけ長い距離でもとにかく歩くという意思と体力を持っているので、ドライバーと相談して、大回りを反時計回りで廻ってから、小回りの廻っていないところに行き、1日で大回り・小回りに位置している遺跡の出来る限り多くを回る、という相談をした。

 赤色が実際に回ったルート。

人間と自然との戦いの痕跡への驚き

アンコールワットが19世紀後半フランス人旅行家ムオーによって発見されたとき、遺跡は密林に覆われていたという。いまや崩れていた壁や屋根は再現され、覆っていた草葉や木は刈り取られてはいる。けれども、あまりの大木は刈り取られることを拒否している。というのは、その木の一部に遺跡がなってしまったのか、それとも遺跡の一部に木がなってしまったのが分からなくなってしまっているからである。

Preah Khan temple

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3

ところで、一般に、技術は、一方では、自然が成し遂げ得ないところの物事を完成させ、他方では、自然のなすところを模倣する。そこで、もし技術に従ってできた物事がなにかのためにであるとすれば、明らかに、自然に従ってできた物事もまたそうである。なぜなら、技術に従ってでてきたものにおいても、自然に従ってできたものにおいても、先のものと後のものとの相互の関係は同じであるから。

199a16 旧アリストテレス全集3 自然学 p75

カントは、かれの判断力批判の中で、(一七七頁)非常に含蓄のある、また私の考えによれば、私の理論によってはじめて説明できるような一つの命題を掲げています。「自然はそれが芸術のように見えるとき美わしく、芸術はそれが自然のように見えるとき美わしい」と。この命題は技巧をもって自然美の本質てきな須要物とし、自由をもって芸術美の本質てきな条件としているのです。しかし芸術美はそれ自体すでに技巧の理念を、自然美は自由の理念を、含んでいるのですから、美は技巧における自然、すなわち、技術性における自由に他ならないということを、カント自身が承認していることになります。 

p58  シラー『美と芸術の理論 カリアス書簡』岩波文庫 草薙正夫訳

 私が感じた驚きは、しかし、シラーやカントによる美と自然と芸術に関してでもなく、またアリストテレスのいうような自然や技術の目的に関してでもない。自然に部分的に抗して建てられた建造物、その建造物に対して新たな侵食を行う自然の大木、それらの戦いが終わった後に残された不調和。この点で、アンコール遺跡は、私にとってはなんとも驚くべき特別な遺跡になったのだった。

 私が感じた驚きは、人間と自然との戦いの痕跡に関してである。それは、人間と自然とが戦うことができたということに対する驚きなのだろうか。というのは、自然の一部でしかない人間が、その全体であるところの自然に戦いを挑むことがほんの少しでも可能であったということは驚きであるから。

 その驚きは、次のものに対する驚きと似ていると言えなくもない。まさにアンコール遺跡がそうであるように森林を開拓して都市が作られること、ピラミッドのように砂漠に石が積み上げられ墓が建設されること、海岸の埋め立てなどによって土地を広げていくこと、地下に穴を掘って鉄道を作ること。さらに現代に至っては星々に人の住むことのできる都市を作ったり、宇宙空間に宇宙ステーションを作ること。けれどもしかし、私の驚きはそれらの種類のものに対してでは、やはりない。私がPreah Khan templeのあの場所に感じた驚きは、正確には、人間と自然との戦いの痕跡に対してなのであった。つまり、森林が人間によって開拓され都市が建設されても、自然がそれを再び駆逐し、駆逐した自然は人間との戦いに疲れ果てたというわけではなくさらに何らかの大きなものに抵抗することに力尽きてしまったということ、それに驚いたのだった。

 たとえば、これからの将来、人類がある星に入植して都市を築いたとしよう。しかしながら築かれた都市と人類は、人類が入植する前から存在していたその星の生命体に乗っ取られてしまったとしよう。その都市とそもそもそこに存在した生命体もまた、その星の何らかの大きなものに抵抗することができずに力尽きてしまったとすれば、私がPreah Khan temple で感じた驚きと同じ驚きであろう。ということは、ようするに、Preah Khan templeに私が読み取った驚きは、そういうものなのである。戦いをも痕跡と化してしまうそれ。それは時間なのか、時間の流れなのか、とかいうふうには、問いたくない。

観光、修行、巡礼

 一つ一つの遺跡を回りはするものの、言うまでもなく他の観光客のようなことはしない。もっとも、コロナウイルスの騒動でほとんど観光客はいなかったので、そういうことをやってみる絶好のチャンスであったが。フォトジェニックなスポットで写真を撮るとか、自分の見たいところだけをみるとか、写真で見たあそこに行ってみるとか。やってみたら面白かったかもしれないが、どうしてもそうは体が動かないようだ。そういう意味でバカの一つ覚えみたいに、シシュポスの仕事みたいに、どの観光地に行っても全く同じことばかりやっているので、笑える。

 では何をするのか。遺跡の一つ一つ、遺跡の中の一つ一つの建物や塔や、そのうちにあるレリーフや彫刻、さらにそれを取り巻く自然、そして遺跡を管理する人々や組織、さらにはそこでモノを売ったり食事を提供するレストラン、これらのもののすべてを事細かに見聞きするのか。いや、そんなことはできない。それをするためにはアンコール遺跡に住み着き、アンコール遺跡を研究する研究家や専門家にならねばならないから。

 ではいったい何をするのか。巡礼である。修行である。私自身の巡礼であり修行をするのである。それはどういうものであるか。遺跡の中を歩き回り目をとめたり耳をすましたりして為したいことは、謎を感じてそれを捨てることである。不思議さに包まれてそれを取り払うことである。じわじわと湧いてくるその何かをとっておかないで、遺跡の中や外やその道中に、置いて行ってしまうことである。

 たとえばある遺跡をみれば、別の遺跡との異同が気になったり、どちらを好むかということを考えたりする。また事前に仕入れた知識をレリーフや彫刻や建築のうちに確認したくもなる。建造された当時はヒンドゥー教の寺院であったのに後に仏教の寺院として用いられたことが分かるものを発見すると嬉しい。また人が住まなくなって風雨や森林化や地震によって破壊されたものをいかに現代の技術で再現したかを目にするのも感動的である。さらに遺跡だけに限らず、遺跡の周りや近くで生計を立てている人や環境のことも考えないではいられない。モノを売る貧しそうな格好の人々。1ドルだけくださいと言ってくる子供。出入り口付近で待ち構えているドライバーたち。汚いトイレ。捨てられているゴミ。伐採された木。ならされた道。メンテナンスされていない道路。こうした種々様々なことのすべてを記憶に留めておくことはできないと言いきかせ、種々様々なことが起こる場所があるだけであり、私はそれを体験し、その体験はいまこの場で消え去って行く、と思い至ることが、私の修行である。しかもそれが私にとって巡礼であるのは、遺跡が、これらすべての目撃者であって記録者であるからであり、私が目撃者であり記録者なのではないという私の自覚から来る。遺跡に対して抱くかくのごとき畏敬の念が、私をして人が観光としか呼ばないであろう私の行為を、私自身によっては巡礼と言わしめている、愚かなことに。

 遺跡が、私の訪問までに目撃したものは何であったか。そしてまた私の訪問の後目撃するのは何であるのか。そのうちの、私の訪問はこの遺跡にとっていったい何であるのか。とりたてて何でもない。

 この遺跡はすでに、人によって自らが建造されるところを目撃した。人々がそこで生活していたことを知っている。また、人々がなぜそこを去ったのかをも知っている。さらに長い年月にわたり森林が侵食し、地震によって破壊されるという経験もした。けれどもまた再び、人々が森林を払い除けて発見したときの声を聞いた。調査団によって様々に取り調べられ、壊れたところは修復され、次第に数々の訪問者が増えてきたことを、この遺跡は知っている。

 そして私が来るこの時期には、COVID19という疫病によってほとんどの人々が近づこうとしないようになったことを、この遺跡は知っている。それはかつて、この遺跡をはじめに建造した人々あるいはその子孫が、この遺跡を捨て他の地へ去ったのと同じだったかもしれない。いや、他の地に去るのではなくして、そこで生き絶えたのかもしれない。そのことをこの遺跡は知っている。

 これから疫病の騒動がおさまり、ふたたび世界的な観光の都として人類にとって崇拝の的になるのかもしれない。むしろ逆に、疫病の騒動がおさまらず、観光の都となっていたこともふたたび人類によって忘れられるかもしれない。そして、さらにふたたび森林にとっての都となるかもしれない。これらのことを、この遺跡は全て知るのであろう。

 実は、以上のことは、世界各地の遺跡(や自然公園なども含めて)を巡礼して常に変わらず思うことであり、必ずそのことを思い出そうと修行している。アンコール遺跡だけが特別に、古代人の隆盛と滅亡、そして、現代人の観光地としての復活とその行末を知っているわけではもちろんない。ピラミッドも、ペトラも、マチュピチュも、海や砂漠や草原もまた、そこに住む生物あるいはそこに来ては去る現象を知っている。そう考えてみるとき、もちろん、これらの遺跡や自然公園すら、単に地球上に存在する一部のものに過ぎないことに気がつかないひとはいないだろう。その点からすれば、地球が、遺跡や自然を目撃し記録し続けている真の存在だとも考えたくなる。しかしながら、地球でさえ、宇宙の単なる一部にしか過ぎないこともまた言うまでもない。そして、宇宙ですら、可能な世界の単なる一つであるかもしれないのだ。そうすると…あらゆる可能な世界の…。とは考えたくはない。

子供たちとの短い対話

ほとんどの遺跡をめぐり終わり、最後にもう一度アンコールワットに訪れ、いくばくかの何もしない時間を設けようと決めた。そのまえに、夕焼けが綺麗だという噂のプノンバケンという小高い山に登ることにした。もっとも夕焼けなど見に行くつもりなのではなく、ただ単に行くべきところの一つであろうから、行かないわけにはいかないと思っただけだったが。

そのプノンバケンの頂上に到着。一周してみてもアンコールワットがよく分からないので、3人組の子どもがいたので話しかけてみた。男の子2人と眼鏡をかけた女の子一人(子供1)で、彼女は英語が話せるというので、ほんの少し会話をした。

私:アンコールワットはどこに見えるのかな?
子供1:こっち。木に隠れているけど、なんとか5つの塔が見えるよ。
私:本当だね。いつもは観光客でいっぱいなんだってね。
子供2:そうだけどコロナウィルスで誰もきてないみたい。
私:だって俺たち4人だけだもんね、今いるのって。
子供みんな:ははは。
私:そういえばさっきお線香をあげたのはお祈りしてたの?
子供1:そう。
私:仏に?
子供1:そうなんです、母が亡くなってしまったので。(多分Buddhism という単語に関して聞き間違いか理解に齟齬が生じていたのだろう)
私:(うろたえて沈黙。その後なんとか取り繕って) アンコールワットの方向を教えてくれてどうもありがとう、助かったよ。
子供1:なんでもありません。今から歩いて降りて行きますか?
私:もう少しここでゆっくりするよ。だいぶ疲れたんでね。
子供1:そう。ではゆっくりしていってください。
私:ありがとう。良い一日を!
子供1:あなたもぜひ!

The Third Man(木本)
The Third Man(木本)

Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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