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Archive9月 2020

哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信...

2020/09/20 発表@哲学塾カント「哲学対話とは何か」ソクラテス、プラトン、アリストテレスの場合

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哲学対話とは何か ソクラテス、プラトン、アリストテレスの場合 要旨  ソクラテスが街角で実践した対話活動、プラトンがディアレクティケーと呼んだ哲学固有の手法、アリストテレスが取り集めた言論と探究の論理法則。アテナイの三人の哲学者のうちに問いと答えの輪郭を描き出すことで哲学対話を巡る問いを立てるとともに、哲学の歴史を対話の相のもとでみる試みの事始としてみたい。 また、対話とは問いと答えである、哲学対話とは純粋な問いと答えである、という簡潔かつ決定的な答えを示すことにより、これまでに費やされてきた対話や哲学対話についての無駄なお喋りと権威ある言説を一掃する。 目次 1 序1.1 端的に「哲学対話とは何か」1.1.1 哲学対話とは何か、には多くの答えがありえ、多くを含む問いである1.1.2 哲学とは何か+対話とは何か1.1.3 「哲学+対話」とは何か1.2 哲学の歴史の「哲学対話とは何か」1...

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