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哲学的な人ほど相手との対話を重んじたがる軽率な理由

どこの馬の骨かもわからぬ私のような犬のごとき哲学者に対し、非常に丁重に御返事をいただきありがとうございます。誠に感謝の念に耐えません。研究者などの非常に真面目一徹な方には、はじめにお断りしなければなりませんが、弊ツイートの芸風を、予め必要以上にご承知いただき、思考の漏れなきよう対話を致し賜ればと存じます。

私からは2点質問があるのですが、お答えできる範囲でお答えいただくようお願いできますでしょうか。

質問1

返信ツイートのはじめの文なのですが、「そういう考えもあるとは思いますが、私とは考え方が違います。」とのことですが、昨日私が見かけた「軽率な人ほど相手を論破したがる」本当に賢い人が論破より対話を重んじる哲学的な理由」という記事の2ページにはこのようなことが書いておりました。

それは相手に応答する際に、「否定文」からではなく、「疑問文」から入るということです。

 議論の場面において、私たちはしばしば相手の発言に違和感を覚えることがありますよね。「なんでこう思うんだ?」、「いきなり何を言い出すんだろう」……などという様に。

 こうしたとき、私たちはとっさに「そうは思いません」、「それは違うと思います」などと否定的に返事をしてしまいがちだと思いますが、これは非常にもったいない思考習慣です。

 なぜなら、違和感を覚えるたびにいちいち相手を否定するようなことを言っていたら、相手はあっという間に議論する気力を失ってしまうからです。ひどいときには、お互い感情的になって、議論が全く進まなくなってしまうこともあります。これは、議論が進まないという意味でも、時間の浪費という意味でも、全く生産的であるとは言えません。

 このように「なぜそう考えたのだろう」と不思議に思ったのなら、否定文で相手を否定する前に、「どうしてそのように考えたのですか?」とそれをそのまま疑問文にして聞き返してみましょう。問いを投げかけられた人は思考を刺激され、「自分の頭で」問題点に気がつくことができますので、いきなり否定されたときよりもよほど穏当な反応を示してくれるようになるはずです。

 いきなり相手を否定するのではなく、まず相手に問いかける。これが対話的思考の鉄則です。

 このときに最大限注意すべきことは、相手に共感を示しつつ、高圧的に聞こえないような問いかけ方をすることです。

私としては、貴殿のお示しになった姿勢が、先に紹介した記事で言及されていることに酷似しているかもしれないと思わざるを得ませんでしたので、貴殿の参考になるかと思い、引用にてお伝えしたく思いました。

とはいえしかし、何か酷似しているように思われたのは、私の度外れな見当違いにすぎないかもしれません。というのも私の方は、現に、「議論する気力を失ってしま」ってはいません。ですのでやはり私の錯覚か誤認だったのでしょう。とはいえ、ときに他の何らのデータも根拠に基づくことなく真実を言い当てることが私には非常に稀にあるものですから、もしも万が一にも私の見当があたっていたとしたら、こちらの記事が教えてくれるように、

「思考の「抜け漏れ」をお互いに補い、問いかけ合えるような関係性の中で仕事をする方がよほど生産的で、より完成度の高い結論にたどり着けるはず

https://president.jp/articles/-/48619?page=5

でしょうから、貴殿から私に、貴殿の姿勢がどのようなものなのか、教えていただけませんでしょうか。私としては私の見かけた先に紹介した記事の妥当性も確かめることが出来るという幸運にも恵まれることになりますので、大変骨は折れるかもしれませんが、ご協力いただけると喜ばしく思います。

質問2

「何かを断定したいなら、しっかりとしたデータや根拠をまずは提示するのが最低限必要ではないでしょうか?」とは、例えばどのような事例を念頭に置かれているのでしょうか? 実はこのことは、先に紹介させていただいた記事に「2の問の技法」と書かれていたことでした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7e482caf726e7f29616adcd502bf17e5b49520e?page=3

ところで、対話を行うにあたって、紹介させていただいた先の記事は大変に参考になりますので、貴殿も、一度と言わず何度も、お読みになってはいかがでしょうか。

ともかく、貴殿からの質問ですので、私からはとりあえず、率直にお答え申し上げますと、全くそのとおりだと私も考えます。寸分違いなく貴殿の考えるように私も考えておりましたので、「データや根拠をまずは提示する」ために、「例:ソクラテス裁判」との文言を含めておりました。

こちらについては、データや根拠だと明示していなかったために、もしかして貴殿は軽率にもお見過ごしになったということでしょうか。それは無理もないかもしれません。私の表現は非常にわかりにくく常識的なものでは全くございませんでした。私はそれを事細かに説明する努力を怠っておりました。私の表現の拙さ及び怠慢をお許しください。

いやしかし、ちょっと待って下さい、ひょっとすると、貴殿は、もしかして、私があげたソクラテス裁判を例にとることが、データや根拠を提示することに該当しない、とお考えでしょうか。もしもそうであるとしたらたいへんその点は興味深い。かのソクラテス裁判という大事件を、「これまでに哲学対話が社会にマッチしたことなど一度もない」ことの一例だとは考えない、という考えは、途方もなく心躍る考えかもしれません。私はまさかソクラテスの刑死が哲学対話が社会にマッチした事実の一つであるとは、思ってもみませんでしたが、貴殿がもしもそう考えているということであれば、ぜひとも、貴殿のご意見を、そしてデータや根拠を拝聴したいと存じます。どうかお聞かせいただけますでしょうか。

ついでに、蛇足ではございますが、私は、こちらのツイートでは、「断定したい」というどんな気持も持ち合わせているわけではございませんでした。

ですので、貴殿がそれに対して問いかけてくれたことで、非常に驚き誠に思考が活性化されました。これもまた先程の記事が述べていた対話の効果にどこか似たところがあります。ともかく、ありがとうございます。私としては、哲学対話が社会にマッチしたことなど一度もない、というのは、あまりに常識的で、単なるつまらぬ些細な事実であって、それを再度私が言明しただけであり、まさかそんなことが人々に問いを喚起することなどなかろうと決めつけておりましたが、これは不覚でした。

そこで、私としては、私が「断定したい」となぜ貴殿は断定されたのか、データや根拠をまずもって提示していただければと思うのですが、いや、このお願いは、もしも貴殿が断定されたということであるとすればという仮定の話ですので、断定したわけではないということであれば、もちろん、そのようなデータや根拠を提示する必要はありません。断定したわけではないということについては、断定したわけではないのですから、データや根拠を提示することは最低限も何も必要ありません。とはいえ、私は、貴殿が断定したかどうかについて、断定するなどということのないよう、エポケっておりますので、どうかその点は、ぜひ、私を信じていただきたく存じます。というのも、貴殿が断定などしてあろうはずもないのには、「みたいな断定が含まれている」と非常に慎重で細心の注意が払われた恭しい表現を用いられているという根拠がありますし、それは明らかであろうと思います。

ともあれ、しかし、もしも私のあずかり知らぬところで、貴殿が万が一にも一瞬でも「断定」してしまっていたということが、貴殿のくもりなき良心に問いかけて少しでも疑いのあることならば、それが何故であるか反省し、いついかなるときも予断など全くゆるさぬ哲学「研究」者の精神でもって、そのようなことが二度と起こらぬよう、データや根拠をもって再犯防止に努めるのがよいのではないかと、もしも私が貴殿のような哲学研究者であったなら、思うことでしょう。ですがこれはあくまで私の個人の信条に過ぎませんので、これを哲学などとは到底言うつもりはもちろん毛頭ございませんので、その点ぜひご承知おき願いたいと思います。

いやはや、人の話を聞く前から、私の思った疑問をいくつも投げかけてしまいました。貴殿のように勉学に優れ輝かしい業績をお持ちの研究者から、どのような非難であろうと称賛であろうと些細な言葉をおかけいただいただけで、私のようなものには、非常に喜ばしいことでした。それですので、私は舞い上がってしまっていたかもしれません。舞い上がってしまったがゆえの無礼な振る舞いがもしもどこかにございましたら、大変申し訳ございません。私は心当たりは今のところは全くございませんが、そのような不届きなことがあったかもしれないことは全くうたがいえないことですので、先にお詫び申し上げておきたいと思います。

最後にお願いがございます。最初のあたりで紹介した「「軽率な人ほど相手を論破したがる」本当に賢い人が論破より対話を重んじる哲学的な理由」の記事が貴殿に示唆的なのは私が紹介したとおりだと思いますので、一度だけではなく、何度もお読みになられることをおすすめいたしますことを再度申し上げるのですが、それとともに、その記事には、実は、私のような浅はかな者にとってさえも明らかに、哲学的な人ほど相手との対話を重んじたがる軽率な理由が書かれているにすぎませんので、貴殿のような、本当に賢い人によって、ぜひとも論破していただませんでしょうか。

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Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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