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Tag対話

哲学は、「本当のところそれってどうなの?」なのか?

ここ最近は大学や高校の友人たち(少ないながらそういう人々が私にもいるということは常々思うが驚くべきことだ)に会うことがあった。 風の噂なのかなんなのか、私が哲学に首を突っ込んでだいぶおかしなことになっていることを彼らは知っているらしい。みんなが集まれば各々が最近やっていることや仕事の話を報告しあって、思い思いに気になることを尋ねてみる、という場面が必ずあるみたいである。上司のこととか家庭のこととか。そういうわけで私の順番が、何となく回ってきたので仕事か家族の話でもすればいいのかなと思い、子どものことでも話そうと思いを巡らしていたら、「そう言えば哲学とかやってたよな。大学に行ったり塾に行ったりしてんだろ?で、結局、哲学って何すんの?」ときた。ほう、これは面白いと思って、 「簡単な話が、真理を求めるってことだね。その一言に尽きると言ってもいい。」 と言った。 「何、真理って?」...

哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」 松本正夫

公平を標榜して党派に傍観者的であることは実は無意識的ながら一つの党派性を形成することで、それが無意識であるだけに一層度しがたい人間の壁を形づくる。むしろ歴史的な現実にあっては哲学もまた人間共同の社会的営為として党派性を免れがたいことを充分意識した上で、党派と党派との間に哲学的対話を形成すべきであろう。イデオロギーは互いに排他的にそれのみを信奉する独断性の要求からいつかは聖戦思想にゆきつくことが多いが、むしろそれならばこそかえって一層対話的に共存することが要求されている。哲学者のとりくむ問題性は実はイデオロギーないし「思想」の問題性以外のものでないから、哲学者はむしろ自ら意識して党派性を取り、問題性の中に体系を見出す「方法」の精神に則って辛抱強くこの党派そのものを対話に持ち込む用意がなくてなるまい。ソクラテスは明らかに誤解されたが、実は哲学者の誤解されてはならぬ「喜劇精神」がここにある。信...

哲学対話は簡単か?

哲学や対話は、子どもにとっては簡単であるが、大人にとっては難解である。このことを言い続けているのだが、どうも伝わっていないのであり、それを伝えるのによい素材記事を見つけた。 家庭でできる哲学対話に挑戦したら……我が子の「実はこう思ってた」に驚いた! 上の記事を引用しながら、それに対してコメントすることで、よく理解してもらえよう。 1 哲学は難解でわたしたちの日常とは縁がないのはもっともである まず、“哲学”と聞いて何を思い浮かべますか? 「難解」「変わり者の学問」「実社会では役に立たない」「成績に結びつかない」……、このように、わたしたちの日常とはあまり縁がないように感じている方も多いのではないでしょうか。たしかに、大学で専門的に学ぶいわゆる“学問としての哲学”には、そのようなイメージがありますね。...

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