ぼくらは放っておくと、つい社会的に認知された「よいこと」を語りはじめる。それは安全で評価される言葉だから、つい口に出してしまう。そして、相互マインドコントロールを開始するのだ。定型的な幸福を求めるあまりに、互いに真実を必死に隠し合って安心しようとするのだ。『「哲学実技」のすすめ』— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) July 19, 2020 以上のツイートを踏まえつつ、「哲学は役に立つか?」の問いについて考えるきっかけを与えようと思う。 哲学が人類を「幸福にしない」これだけの理由大学から哲学科が消えるのは由々しき事態か中島 義道 : 哲学者 二つの重要なことを、少し書き換えることで、主張を示してみたい。 真理は真理...
哲学対話は簡単か?
哲学や対話は、子どもにとっては簡単であるが、大人にとっては難解である。このことを言い続けているのだが、どうも伝わっていないのであり、それを伝えるのによい素材記事を見つけた。 家庭でできる哲学対話に挑戦したら……我が子の「実はこう思ってた」に驚いた! 上の記事を引用しながら、それに対してコメントすることで、よく理解してもらえよう。 1 哲学は難解でわたしたちの日常とは縁がないのはもっともである まず、“哲学”と聞いて何を思い浮かべますか? 「難解」「変わり者の学問」「実社会では役に立たない」「成績に結びつかない」……、このように、わたしたちの日常とはあまり縁がないように感じている方も多いのではないでしょうか。たしかに、大学で専門的に学ぶいわゆる“学問としての哲学”には、そのようなイメージがありますね。...
対話への誘い
夢でのメール 不思議な夢を見た。私は誰だか知らない哲学の師を慕っており、対話を在野で研究している。私の師は哲学教室アレクサンドリアを主宰しており、哲学の専門家たちが、どこか殺伐とした雰囲気のその教室で毎回講義を行なっている。あまり議論や対話の場は設けられないことに、私は何も疑問を感じていない。 私はその生徒に過ぎないというのに、師はある日、哲学を志す或る新入りの生徒「根尾井さん」に対し、私に哲学対話について尋ねるように言ったという。そういうわけで私は根尾井さんから、哲学教室アレクサンドリアで哲学の発表し、対話をするにはどうしたらいいのか、という相談のメールをもらった。私は師を忖度することもせず、そのメールに返信をしたという夢であった。 夢であったとはいえ、考えてみたところそれが現実であったとしてもおかしくはない。そこで、そのメールへの返答を、以下に記しておくことにする。...
忙しさの中で小さな精神の訓練をすること
ところで、探究のために文章を書いていて、ふと浮かんできたことを逃さないように書いておこうと思う。それは休む間もない労働の中で、会議だの報告だの文書作成だの投資契約だので、人々に分かるような表現の仕方を与えることを常に強いられるために心に浮かんできたものだ。それは、人に分かってもらえそうにないことを、書かずに排除しようとしたことだ。書いてしまうとややこしくなり、人々はそのような難しいことを時間をかけて考えはしないために、そうした表現をしないで分かるように、分かる範囲のうちで、正確さや微細さを軽視しながら、それとなく、人々がわかった気になりそうな言い回しや説明の順番を与える。労働する環境ではそのような表現を強いられる。そして、わかりにくく、曖昧で、微妙で、時間をかけて考えることを、表現のうちから除去するように強制される。...
生きるに値しない生とマルクスアウレリウスの火
生きるに値しない吟味のない生 プラトン全集1 『ソクラテスの弁明』田中美知太郎訳 38a またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら(dialogounmenou)、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、こう言っても、わたしがこう言うのを、諸君はなおさら信じないであろう。しかしそのことは、まさにわたしの言うとおりなのだ、諸君。ただそれを信じさせることが、容易でないのです。 また同時に、わたしとしては、自分がとうぜん悪を受くべきものであるというような考えには少しも慣れてはいないということもあります。 ギリシャ語原文、英訳 マルクスアウレリウスの火 マルクス・アウレリウス『自省録』4章1節...