以下に中島義道『哲学者というならず者がいる』新潮社 URL という著書の、第II部「快か不快か」の「「有用塾」?」(該当ページ数:pp72-74)から引用します。見出しは引用ではありません。
目次
「本当のこと」を語れる清浄な空気は哲学的議論成立の土壌
昨年秋まで八年間も続いた哲学塾(「無用塾」)を開設した動機の一つが、語るべきことのみを語らねばならない世間の穢れた空気をシャットアウトし「本当のこと」を語れる清浄な空気を確保することであった。いわば哲学的議論を成り立たせるための土壌の手入れである。ある程度は実現したと思う。
哲学ブーム、哲学カフェ、マルク・ソーテ
そういえば、たちまち化毛の皮がはがれて崩壊した十年前の「哲学ブーム」のころ、私だけではなくいろんな哲学的試みが哲学ジャーナリズム界(?)をにぎわせていた。その一つ、フランスのマルク・ソーテというなんだか料理の名前のような哲学(研究)者が、「哲学相談所」を開設したということが、狭い業界で話題になった。何でも、学生のレポートの手伝いから、哲学論文の書き方から、夫婦喧嘩の仕方あるいはその仲裁まで、引き受けるのだという。哲学カフェーを開き、「愛」について「暴力」についてカンカンガクガクの議論をするのだという。そのほか、ソクラテスの足跡をたどるアテナイ旅行を企画するなど、盛りだくさん。たしか日本にも来て、渋谷で宣伝活動をしたのではなかったか。そして、その後まもなく死んだのではなかったか。
マルク・ソーテにマイナスに刺激されて、「道場」「塾」に辿り着く
彼の「活動」が、私の哲学の理念と正反対なので、よく憶えているのである。まあ、いろんな人が「哲学」という名のもとに、いろんなことをしてもいいのだが。じつを言えば、彼にマイナスに刺激されて、私は自分の理念にかなった哲学の場をつくろうと思い立ったのだ。カフェーから革命が起きたとも言われているパリやウィーンの伝統などないわが国の「やかましい」カフェーで、哲学談義なんかできるはずがない!わが国には、もっとふさわしいモデルがあるはずだ。そう思案してたどり着いたのが、「道場」であり(幕末の)「塾」であった。こうして、一九九六年十月に私は哲学の道場=塾を開いたのである。
全人間的教育をしないはずの無用塾
とはいえ、「無用塾」は、はじめから「危うい」位置にあった。私はーー当然ながらーー宮本武蔵でも吉田松陰でもない。彼らのように燃えるまなざしで、哲学の道を「教える」ことなんかできやしないし、したくない。私は剣道や柔道や茶道など、「〜道」という文字が指し示すわが国古来の教育法が嫌いである。これは、単なる技術教育ではなく、全人間的教育という響きがあるから。こうしたことを十分自覚して、古来の「道場」や「塾」をあくまでも批判的に踏襲したつもりだったが、第一回目に参加者一同に松下村塾のパンフレットを見せたりして、私もずいぶんオカシかった。その後も、自分の哲学観や人間観を塾生たちに伝授することに、ほとんど嫌悪を覚えなかったのだから、マルク・ソーテのことなど笑えない「カエルの王様」だったなあ、とつくづく思う。『荘子』の「無用の用」から採った「無用塾」という名前も異様にクサイ。
哲学を学ぶこと、哲学することを学ぶこと カントとショーペンハウアー、プラトンの想起説
カントは「哲学を学ぶことはできない。われわれはせいぜい哲学することを学ぶことができるだけである」と言った。ショーペンハウアーはこれに対して、「違うんじゃないの?むしろ、逆にわれわれは哲学することこそ学ぶことができないんじゃないの?」と問い返した。これはなかなか難しい問題で、じつはふたりの「哲学」や「学ぶ」という言葉の意味が互いにずれており、すれ違いの議論なのだが(それを説明すると膨大な言葉を要するので、割愛する)、ここでは単純に哲学を「知識」とし、「哲学すること」を哲学する態度、精神のようなものとしてみると、ショーペンハウアーのほうに分があると思う。哲学精神あるいは哲学的センスなんか学べないのだ。プラトンの想起説よろしく、学べるとしても、はじめから知っていた人のみが学べるのである。哲学は知識に限定してのみ学べるし、教えることができるのだ。これが、謙虚な哲学者の姿勢ではないだろうか?
結局マルク・ソーテに擦り寄る?
こうした反省から、「中島教」の布教は差し控え、あれだけ軽蔑していたマルク・ソーテに思いっきり擦り寄って(?)有名大学の哲学科大学院に受かるための、つまりその試験問題の傾向と対策を伝授するための哲学予備校(「有用塾」?)を開こうかなあ、なんてふと考えてみたりするのですが、みなさんどう思いますか?
(2005・6)
[…] […]