生きるに値しない吟味のない生
プラトン全集1 『ソクラテスの弁明』田中美知太郎訳
38a またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら(dialogounmenou)、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、こう言っても、わたしがこう言うのを、諸君はなおさら信じないであろう。しかしそのことは、まさにわたしの言うとおりなのだ、諸君。ただそれを信じさせることが、容易でないのです。
また同時に、わたしとしては、自分がとうぜん悪を受くべきものであるというような考えには少しも慣れてはいないということもあります。
マルクスアウレリウスの火
マルクス・アウレリウス『自省録』4章1節
我々の内なる主が自然に従っている際には、〔できうるかぎり、〕許されるかぎり、出来事に対して常にたやすく適応しうるような態度を取るものである。
なぜなら、彼は特にこれという一定の素材を好むわけではなく、その目的に向かって、ある制約の下に前進する。そしていかなる障害物にぶつかろうともこれを自分の素材となしてしまう。この点あたかも火が投げ込まれた物を捕らえる場合に似ている。小さな灯ならば、これに消されてしまうであろうが、炎々と燃える火は、持ち込まれたものを忽ち自分のものに同化して焼きつくし、投げ入れられたものによって一層高く躍りあがるのである。