以下は近代の哲学者でもっとも有名な人の一人であるヘーゲルの哲学史についての長い引用です。主人と奴隷の弁証法やアウフヘーベンなどと並んで、「阿呆の画廊」はヘーゲル語の中でもよく知られているもので、もはや哲学の常識の一つに数えてもいいくらいのものかもしれません。
哲学史は阿呆の画廊か?これがヘーゲルが突きつけた問いであり、もちろんヘーゲル自身にとっての問いでもあったわけですが、哲学対話は阿保の画廊、あるいはもっと、阿呆のお喋り、ではないか。この問いを哲学対話は避けて通れないように思われます、哲学対話に真摯に取り組むならば。この問いに心当たりもないというのでは、哲学対話をもはやすでに何かのイデオロギーと取り違え、哲学対話についての対話と反省を拒否する熱狂的な哲学対話教徒だとしか、私の目には映りません。
哲学史と哲学対話とは無縁のものというのは本当でしょうか。ヘーゲルが述べる哲学史を、あたかも哲学対話についてであるかのように読むことは難しくないと思います。立論、反論、綜合、というのが哲学史の弁証法的発展であるとすれば、対話が探究を前進させるその仕方が、弁証法的発展にまったく類比的でないとは、誰も言い切ることはできないでしょうから。 問いに答えてしまうことに慎重にならなければならないのはもちろんですが、ある人の真摯な問いを理解しないまま自分の問いへと歩を進めるのにも、同じぐらいの慎重さが必要な場合もあるでしょう。
度々出てくる「歴史」や「哲学史」という言葉を適宜、いやそれどころか逐一「哲学対話」と置き換えながら読んでみてはどうでしょうか。
そして、哲学対話では、なぜ人それぞれが意見を言うだけではダメで、真理を求めるのでなければならないのか、とヘーゲルとともに問うてみてはどうでしょうか。
引用は、ヘーゲル『哲学史序論』武市健人訳 岩波文庫(1998年)pp53-67 からです。
目次
a 意見の集積〔阿呆の画廊〕としての哲学史
歴史というとき、すぐに考えられることは、それが諸々の時代、諸々の民族、諸々の個人の偶然的な出来事を物語るべきものとせられているということである。
一方では時間の順序から言って偶然的なものについてであり、また一方では、その内容上偶然的なものをである。時間の順序にかんする偶然性については後に述べる。そこで、まず我々が論じようとする概念は内容の偶然性である。すなわち偶然的な諸行為の概念である。しかし哲学がもつ内容は外面的な行為でもなければ、また情熱とか幸福とかの事件でもなく、まさに思想である。ところが偶然的な思想は意見(Meinungen)にほかならない。そうして哲学的意見とは、哲学の立入った各内容や哲学特有の対象、即ち神、自然、精神に関する意見を言う。
そこで我々が早速お目にかかるのは、哲学史は即ち時間の中で出現し、時間の中で提示された、たくさんの哲学的意見を枚挙すべきだという、哲学史についての極めて通俗的な見解である。控えめに言うときは、こういうものは意見と呼ばれる。しかし、これにもう一つ突っ込んだ判断を下しうると考える人々は、哲学の歴史を阿呆の画廊(Gallerie von Narrheiten)とさえも呼ぶ。或いは少なくも、思惟と単なる概念とに専念する人間の昏迷の画廊と呼ぶのである。このような見解は、ただ哲学において自分の無知を公言するような連中から聞きうるのみではない。(彼らが無知を公言してはばからないのは、普通の考えでは、哲学とは何かということに関して判断を下すのに、この無知は障害とはならないと考えられているからである。ーーそれどころか、各人は哲学について何の理解ももたなくても、哲学の価値と哲学の本質について判断しうると確信しているのである。)また自分で哲学史を書く人々、書いた人たちからも聞きうる。このいろんな意見の枚挙としての哲学史は、こうして閑暇な好事の事柄となる。或いは、いわば博識の関心事となる。なぜなら博識とは、もっぱら無用な事柄をたくさん知ることだからである。言いかえると、その知識をもつこと以外には、それ自身では何の値打ちも、何の利益もないような事柄をドッサリ知ることだからである。
だが人々はまた、他人のいろいろの意見や思想を学ぶことから利益を受けとるとも考える。即ち、そのことは思考力を刺戟し、また多くの立派な思想に導くことにもなるという。言いかえると、時にはまた、さらに意見を生むための機縁ともなると見る。従って哲学史の役目は、意見から意見への発展を綴るところにある、と考えるのである。しかし、哲学史がただの意見の画廊にすぎないとすれば、ーーー神に関してであれ自然的な物と精神的な物との本質に関してであれ、ーーーこのような思想の運動や博識から、どんなに多くの利益がもたらされると言われるにせよ、哲学史は全く無用な、退屈な学問となるのではあるまいか。単なる意見の羅列を学ぶより下らないことがありえようか。これほど馬鹿らしいことが他にあろうか。哲学の諸々の理念を意見という形で捉え、論じようとするような頭で書かれた哲学史の通俗的著書が、およそ如何に下らなく、おもしろくないものであるかということは、ちょっと見ただけでも分かるのである。
意見は一つの主観的な考え、一つの任意の思想、一つの想像であって、私はこう考え、他の者は異なって考えうるといったものである。意見は私のものである。(eine Meinug ist mein.) 意見は、それ自身において普遍的な、即且向自的にある思想ではない。だから哲学は何らの意見をも認めない。なぜといって、哲学的意見なるものはないからである。それで、だれかが哲学的意見について話すのを聞けば、その人が哲学史家であっても、その人に第一次的教養の欠如していることが直ぐに分かる。哲学は真理の客観的な学問であり、真理の必然性の学問であり、概念的認識であって、いかなる意見マイネン〔私念〕でもなく、意見の綴り合わせでもない。
次に、このような観念に特有のもう一つの意味は、我々の知識がただ意見という形でしかありえないとせられることである。この場合には、意見にアクセントがおかれる。ところで、意見に対立するものは真理である。真理とは、その前に出れば意見が色を失うといったものである。しかし哲学史において、ただ意見だけを求める連中、或いは哲学史においてただ意見だけが見出されるべきだと一般的に考えている連中は、真理なる言葉に出会うと顔をそむけるのであるここで哲学は二つの面から反対を受ける。一方では敬虔〔信仰〕が、周知のように、理性または思惟は真理を認識しえず、反対に理性はただ懐疑の深淵に導くのみだと宣言した。従って真理に達するためには自力的思惟は放棄し、理性は盲目的な権威の信仰の下に縛っておくのでなければならないとも宣告したのである。宗教の、哲学と哲学史とに対する関係については後で述べる。これに反して他方では、これもまた周知のように、いわゆる理性が幅をきかせて、信仰を権威から引き下ろして、キリスト教を合理的にしようとした。その結果、何事の認知であれ、それには全くただ自身の識見、自分自身の信念だけが自分に対して責任のあるものだということになる。ところが不思議なことに、この理性の権利の主張は逆転して、理性は真なるものなどというものは認識しえないという結果に達したのである。このいわゆる理性は、一方では思惟的理性の名前と力とにおいて宗教的信仰と闘った。しかし同時に、自身も理性に反するものとなり、真の理性の敵となる。それは真の理性に背いて内的な予感や感情を主張する。だから主観的なものを価値の規準にするのである。即ち各人が自分の主観性のなかで自分勝手に作るような自分の信念を規準とするのである。だが、こういう自分の信念こそ意見に他ならない。従って意見が人間にとって究極のものとなったのである。
そこで、それが次のような観念となって、我々の出発点において立ち現れるとすれば、我々は哲学史におけるこの見解について、まずもって述べておかないわけには行かない。この見解は一般文化の中に浸みわたっている、その結果であり、いわば我々の時代の偏見であり、また我々の時代の象徴である。即ちそれは、今や人々が互いに理解しあい、認識し合うための原理である。当然のこととして認められる前提であり、従ってあらゆる他の学問的活動の根底とせられる前提である。神学においてはキリスト教の教養として通用するほどの教会の信仰箇条はなく、各人は自分の信念に従って(他の人は他の信念に従って)、多かれ少なかれ自身のキリスト教の教義を作っている。或いは、色々の意見を知ろうとする関心が神学に向けられて、神学が歴史的に研究されていることは、我々のしばしば見るところである。そうして、この知識収集の最初の収穫の一つは、すべての信念を尊重することになり、しかも信念とは各人が自分だけで決定せねばならぬものだと考えるにあるとみられるようになったことである。そうなると、真理を認識するという目的もまた放棄される。何よりも自分の信念こそ、認識において理性と理性の哲学とが主観性の見地から要求する究極のものであり、絶対的に本質的なものなのである。しかし、この信念が感情、予感、直観などの主観的根拠に基づくか、即ち一般に主観の特殊性に基くか、それとも思想に基き、従ってその信念が事物の概念と本性とについての洞察から生ずるものであるかということの間には相違がある。ところで前の場合には、信念は意見である。
いま力説した意見と真理との対立は、すでにソクラテス=プラトン時代の文化の中にも、即ちギリシア生活の堕落の時代の文化の中にもまた、意見マイヌンク(doxa)と知識〔学〕ヴィッセンシャフト(episteme)とのプラトン的対立として現れている〔ティマイオス、187b以下、メノン98a〕。我々がアウグストゥス治下のローマの社会的、政治的生活の衰退時代において、またエピクロス主義と哲学に対する無関心とが世を風靡したその後の時代において見るのも同一の対立である。キリストが「私は真理を伝えるために、この世に来た」と言ったとき、ピラトス(Pilatos)が「真理とは何か」と反問したのはいかなる意味においてであるか〔ヨハネ伝、18章37-38節〕。それは上品な言い方になっているが、その意味は、こうである。ーー「この真理などというものは我々には分かりきった、古臭いものだ。我々はもっと進んでいる。真理を認識するなどというようなことが、もはや問題でありえないことを我々は知っている。我々は、そんなことは卒業〔超越〕しているのだ。」、と。このことを言う者は実際、それを〔あまりにも簡単に〕超越しているのである。(*〔訳者による注〕ヘーゲルはピラトスの問いとは全く違った意味で、「真理とは何か」ということを、古くて、しかも永遠に価値ある問いとみている。ヘーゲル『小論理学』(岩波文庫)、一七頁、『大論理学』、下巻、二七頁等を参照。) 哲学史において我々がこの立場〔意見の立場〕から出発するとすれば、人によってそれぞれ異なる他人の諸々の特殊性を知ることのみが哲学史の意味の全部となるだろう。ーーしかし、こういう特有性は私には無縁のものである。のみならず、そこでは私の思惟的理性は自由ではなく、お留守である。それらは私にとっては、ただ外的な死んだ歴史的素材であり、それ自身において空しい内容の塊りである。また、このような空虚なものの中で満足することは、それ自身ただ主観的空虚にすぎない。
囚われのない人間にとっては真理は偉大な言葉となって、心を鼓舞するであろう。ところが真理は認識しえないという主張に関しては、それは哲学史そのものの中に現れて来るから、我々はさらに立入って、この主張を考察することにしよう。しかし、ここで次のことだけは一言しておかねばならない。もしもこの前提が許されるとすれば(例えばテンネマンTennemannの場合のように)、何故に我々が哲学に頭を悩ましているかの理由が分らなくなるということである。しかも、そこではどの意見も、それが真理を持つことをウカツにも主張しているのである。私はこの場合さし当たって昔からの考えを引証しておく。ーー真理は知識の中にある。しかし我々は思考ナッハデンケンかぎりでのみ真なるものについて知るのであって、我々が歩いたり、立っていたりするかぎりにおいて、そうなのではない。真理は直接的な知覚や直観的においては認識されない。それは外面的感性的な直観においても、また知的直観においても、同様である。(なぜなら、何の直観も直観としては感性的だからである。)ただ思惟の努力によってのみ、真理は認識される。ーーー
b 哲学史そのものを通しての哲学的認識の空しさの立証
ところで、哲学史についての前述の観念と関連して、我々がいわば有害とも利益ともみうる他の帰結が別の面から出て来る。即ち、いまいうような多様な意見、様々な哲学の体系を見ることになると、我々はそのいずれを採るべきかに困惑してしまうのである。これを言いかえると、人間の心を引きつけるもので、哲学がその認識を与えようとする偉大な問題については、偉大な精神も失敗したことが知られるのである。というのは、彼らも他の人々によって反駁されたからである。「偉大な精神にしてもこうであったとすれば、ego homunicio 〔不肖な自我〕がどうして、そこで決着をつけうるなどと考えることができよう。」〔Terentius、Cicero等〕哲学の諸々の体型の相違性と言うことから引出されるこの帰結は、いわば事柄の有害な点である。しかし、それはまた同時に主観的な利益でもある。と言うのは、この相違は、玄人らしい顔をして自分は哲学に関心を持つのだというような様子をしたい連中にとっての、つまり彼らがこういう殊勝な意志をもつとういうような見せかけにもかかわらず、いや、この学問にどうしても打ち込まざるをえないのだという、もっともらしい口上にもかかわらず、実はこれを全く忽(ゆるが)せにすることにとっての、格好の口実となるからである。しかし、この哲学の諸々の体系の相違ということは、単なる口実どころではない。それはむしろ、哲学がその研究に要求する真面目な態度に対する心からの、真向からの反駁の理由となるのである。即ち、哲学の研究を断念することの弁明とせられ、真理の哲学的認識に達しようとする試みの無駄であることに関する、このうえない証拠とせられることのなるのである。実際、「哲学は真実の学問であるべきであり、どれか一つの哲学は真の哲学であるだろう」ということは認められるとしても、「そうすると、それはどの哲学であるか、また我々は何によってそれを認識するか、という疑問が生ずる。各々は自分の哲学こそ真の哲学だと主張する。だが各々は、それぞれ異なった真理認識の特徴と規準をもっている。だから生真面目ニュヒテルンな、分別臭い思惟は判定に苦しまねばならない。」このように主張されることになるのである。
これが哲学史が提供するとせられる、もう一つ利益であり、問題点である。キケロ(神々の本姓について)『Natura Deorum I, 8 sqq』はこの見地に立って、神に関する哲学的思想の、ぞんざい極まる歴史を書いた。彼はそれをエピクロス派の口を借りて述べているが、それについて自身ではそれにまさることを何もいいえなかったから、それが彼の見解である。即ちエピクロス派は言う。確定的な概念というものには達せられなかった、と。哲学の努力が虚しいという立証は、歴史の結果の示すものが互いに対立し、矛盾し、反駁する種々の哲学の多様な思想の発生だという哲学史の一般的な、皮相な見解から直ちに引き出される。そうして、この拒みがたい事実は、「死んだ者にその死んだ者を葬らせよ、そして私に従え」〔マタイ伝、8章22節〕というキリストの言葉を、また諸々の哲学にも適用する権利を我々に与えるものであると共に、それを要求しているようにさえ見える。実際それによれば、哲学史の全体は、ただ死者の屍で蔽われた戦場となるだろう。そこにあるものは、死んで肉体的に過去となった諸々の個人の国のみならず、各々が他の者を殺し、埋葬するところの、反駁され、精神的に過去となった諸々の体系の国であろう。この意味では、ここではもちろん、「私に従え」の代わりに、むしろ「君自身に従え」、即ち君自身の信念を固持せよ、君自身の意見に留まれ、何故に他人の意見など用いるのか、と言われねばならないだろう。
もちろん新しい哲学が現れて、他のものは無価値だと主張することはある。また、たしかに各哲学は先行する諸々の哲学が自分によって反駁されたのみならず、その欠点は訂正され、遂に正しいものが見出されたという自負をもって登場する。しかし以前の経験からすれば、こういう哲学も同様に、やはり使徒ペトルス(Petrus)がアナニアス(Ananias)に話したところの、「見よ、君を担ぎ出す者の足がすでに門口に立っているのを」という聖書の言葉が適用されるものであることが分かる。見よ、君の哲学を反駁し、駆逐するだろう哲学が、やがて必ず訪れるだろうことを。それは曾てのの他のいずれの哲学にも、もれなく訪れたのと同様である。
c 哲学の相違に関する説明
いろいろな哲学があるということ、またあったということは、たしかに否定しえない事実である。しかし真理は唯一である。理性の本能は、この克服しがたい感情または信仰をもっている。「それ故に唯一の哲学だけが真の哲学でありうる。ところが哲学はいろいろであるから、他のものは誤謬でなければならない」という結論が下される。「しかし各々は自分をその唯一の哲学だと断言し、その根拠づけを行い、証明をする。」これが普通に人々のやる理屈であり、また生真面目なニュヒテルネス思惟の、もっともらしい見解である。そこで、このいま出て来た語である思惟の生真面目(Nüchternheit)ということについて考えてみよう。我々が食事前にある(wir sing nüchtern)時には、そのとき直ぐに、或いはやがて間もなく、空腹を感じることは、我々が日常の経験から知るところである。ところが、この生真面目な思惟は、その食事前ニュヒテルンハイトであることから空腹を感じ、ガツガツするようにならず、自分で満足しておられる才能と手腕とをもっている。従って、いまいう言葉を述べるところのこの思惟は、自分が死んだ悟性であることを暴露している。なぜといって、ただ死んだものだけが食事前にあって、それに満足しておられるからである。ところが肉体的生命も精神のもつ生命も、食事前であることに満足してはおられない。それは衝動であり、真理に対する、真理の認識に対する空腹と渇仰に移って行く。即ち、この衝動の満足を切望する。前者のような反省にゴマかされて、満腹にせられはしないのである。
しかし、この反省について一歩進んで言わねばならないことは、何よりもまず次のことである。哲学が如何に異なっているにしても、とにかく哲学であることでは、それは共通のものをもつということであろう。それで、どれでも一つの哲学を研究した者、或いはそれを知った者は、それが哲学であるかぎり、それでもって、とにかく哲学を知ったことにはなるであろう。だから単なる差異性に固執するところの、そうして普遍は特殊性の中に現実的にあるのに、特殊性をきらい、または恐がるところから、この普遍性をつかもうとも、認めようともしないところの、あの口実や屁理屈を、私は他の所で一人の病人に例えた。即ち、その病人というのは、
医者に果物を食うことをすすめられたので、人々は彼に桜実を、或いは杏の実を、或いはブドウを差出したが、悟性の杓子定規ぺダンテライから、これらの果実の何も果実ではなく、一方のものは桜実であり、他のものは杏の実またはブドウだからといって、取って食わないような者なのである。
それで、諸々の哲学的体系のこの相違性が如何なるものであるかについて、さらに深い洞察をもつことこそ極めて大切なことである。ところで、真理と哲学が何であるかについての哲学的認識は、真理と誤謬との抽象的対立の面から見るのとは全く異なった意味において、この相違そのものを相違として認識させる。しかも、この点に関する説明こそ我々に全哲学史の意味を開示するであろう。そこで我々が根本的に明らかにしなければならないのは次のことである。種々の哲学という哲学のこの多様性は、哲学そのものにーー哲学の可能性にーー何の損害も与えないのみならず、こういう多様性こそ哲学という学問の存在に絶対的に必然的であり、また必然的であったということ、つまりそのことをこそ哲学に本質的だということである。
この考察にあたって、もちろん我々は次のことから出発する。哲学は真理を思惟的に、概念的に捉えることを目的とするものであって、何ものも認識されということを認識するのを目的にするものではないということである。即ち少なくも真の真理は認識されるものではなく、ただ時間的な、有限的な真理のみ(即ち真理であると同時に非真理であるもの)が認識されるものであることを認識するのを目的とするのではないということである。というよりも、我々は哲学しにおいて哲学そのものを問題とせねばならぬということである。哲学史の行為は決して武勇伝アーベントイアーではない。それは世界史が単に小説的なものでないのと同じである。それは単に偶然的な諸事件の収集ではない。一人で流浪し、当てもなく戦い疲れ、しかもその活らきは跡かたもなく消え失せてしまったというような武者修行の騎士の遍歴の収集ではない。同時にまた、此処では一人の者が或ることについて頭をひねり、彼処では他の者が勝手にそうしたというのでもない。思惟する精神の運動には本質的関連があり、しかもそれは理性的〔合理的〕に行われる。世界精神に対するこの信仰をもって、我々は歴史に、また特に哲学史に向かわねばならない。
2 哲学史の概念規定に対する説明
真理は唯一だ、という前に挙げた命題は、まだ抽象的で、形式的である。ヨリ深い意味から見ると、それは出発点である。しかし哲学の目的は、この唯一の心理が同時に、そこからすべての他のもの、自然の全法則、生命と意識との全現象の流れ出る源泉であることを(即ちこれらは、この唯一の真理の反映にすぎない)認識することである。言いかえると哲学の目的は、これらの全法則と全現象とを、その唯一の源泉から概念的に把捉するために、即ちこれらのものの由来をそこから認識するために、これらの法則と現象とを外見上逆の途において、その唯一の源泉に還元することである。それ故に最も大切なことは、むしろこの唯一の真理がただ単純な、空虚な思想ではなくて、それ自身において規定された思想であることを認識するにある。この認識のために、我々はそれ自身としては全く一般的で味気ない抽象的概念について、即ち発展(Entwicklung)と具体者(das Konkerete)という二つの規定について考えておかねばならない。実際、我々はここですべての問題を発展という唯一の規定の中に総括することができる。この発展ということが分かれば、他のものはみな、おのずから明らかになる。例えば、こうである。思惟の産物は思惟されたもの一般〔思想〕である。しかし、思想は、まだ形式的である。概念は、すでにヨリ規定された思想である。最後に理念は、全体性として、また即且向自的に存在する規定としてある思想である。だから理念こそ真なるものである。いや、理念のみが真なるものなのである。ところで、理念の本性は本質的に発展することであり、しかもただ発展のみによって自分を把捉することーー即ち理念であるところのものに成ることーーである。理念が理念であるところのものにせられねばならぬということは、ちょっと考えると矛盾であるように見える。しかし我々は、やはり理念は理念であるところのものだ、と言うことができるであろう。