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Category哲学と人生

哲学は、「本当のところそれってどうなの?」なのか?

ここ最近は大学や高校の友人たち(少ないながらそういう人々が私にもいるということは常々思うが驚くべきことだ)に会うことがあった。 風の噂なのかなんなのか、私が哲学に首を突っ込んでだいぶおかしなことになっていることを彼らは知っているらしい。みんなが集まれば各々が最近やっていることや仕事の話を報告しあって、思い思いに気になることを尋ねてみる、という場面が必ずあるみたいである。上司のこととか家庭のこととか。そういうわけで私の順番が、何となく回ってきたので仕事か家族の話でもすればいいのかなと思い、子どものことでも話そうと思いを巡らしていたら、「そう言えば哲学とかやってたよな。大学に行ったり塾に行ったりしてんだろ?で、結局、哲学って何すんの?」ときた。ほう、これは面白いと思って、 「簡単な話が、真理を求めるってことだね。その一言に尽きると言ってもいい。」 と言った。 「何、真理って?」...

対話への誘い 2

承前  対話への誘い 批判したり同調したりするだけでなく、遠近を正確に見極めること 発表の題材はアキナスの「他者への無限責任」です。実は私は「他者への理解が根底の所で閉ざされているのは何故なのか。それにも関わらずどうしてそのような他者に対して責任を私が負わねばならないのか。」という問いをもっています。そこを中心に議論・対話をしたいのです。というのも、私のこれまでの経験や性格から思うところがあり、やはり「他者」というものは考えれば考えるほど異様で、全く自分とは別の「意識存在」であり、無視することができず、何故かいつも自分に迫って来ている。そのような「絶対他者」の前で、自分はなすすべもなく、翻弄され、そしていかなる時でも「応答」をしなければいけない。これは一体どういうことなのか。…...

哲学は役に立たない。哲学者でさえ、真理には到達しない。

ぼくらは放っておくと、つい社会的に認知された「よいこと」を語りはじめる。それは安全で評価される言葉だから、つい口に出してしまう。そして、相互マインドコントロールを開始するのだ。定型的な幸福を求めるあまりに、互いに真実を必死に隠し合って安心しようとするのだ。『「哲学実技」のすすめ』— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) July 19, 2020 以上のツイートを踏まえつつ、「哲学は役に立つか?」の問いについて考えるきっかけを与えようと思う。 哲学が人類を「幸福にしない」これだけの理由大学から哲学科が消えるのは由々しき事態か中島 義道 : 哲学者 二つの重要なことを、少し書き換えることで、主張を示してみたい。 真理は真理...

人生について哲学は何を語りうるか 『哲学の教科書』からの3つの引用

「人生は一人で悩んでいていいんだ。人生の話なんて誰ともしないで、一人で考え続ければいいんだ」。それを教えてくれるのが哲学の魅力であり、哲学の先生に期待してよい(唯一の?)徳であるように私は思います。このページの概要

驚くべきタイトル
大森荘蔵
中島義道『哲学の教科書』からの引用

中島義道『哲学の教科書』講談社1995年第一刷  第2章 哲学とは何でないか 第4節 哲学は人生論ではない

いかなる哲学もいかに生きるべきかを教えない

自分の行為に照らしながら丹念にその意味を検討してゆくこと

哲学は人生そのものに対する懐疑や不快や絶望のために自殺できるほどの甘えた思い込みではない
まとめにかえて二つの注目点

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