はじめての人のための哲学カフェ です。
対話が苦手な人、対話なんてしたくないと思っている人、哲学なんて関係ないと思っている人たちに向けた、哲学カフェです。
はじめての人のための哲学カフェ です。
対話が苦手な人、対話なんてしたくないと思っている人、哲学なんて関係ないと思っている人たちに向けた、哲学カフェです。
問い: 対話するのにお金をもらうとすると、お金が払えない人を排除してしまわないか 答え: 全くその通りである。 お金を払ってまで対話しないような人を、対話しようとする人は排除すべきである。また逆に、対話するのにお金を貰えば、お金を払う人なら誰でも受け入れるという条件を提示していることになるのを忘れてはならない。 補足 「お金が払えない人を排除してしまわないか」というのは問いの形をしていますが、単なる懸念です。どんな懸念であるかを考え、突き詰めていくと、吐き気を催すような気持ちの悪いものに出くわします。 子どもからお金をとるべきではない?子どもにはお金を払うべきである...
問い 対話なんて役に立たないものを仕事にできるのか。 答え できる。なぜなら (2.1)対話が仮に役に立たないとしてもそのもの自体で価値をもつから。さらに、(2.2)対話が役に立たないというのは誤解である。対話はあらゆることに役に立つ。社会的に善いことにも、悪いことにも役に立つ。 補足 対話の悪用についての認識 とりわけ、対話は悪用されるという点について補足したいと思います。対話は社会を作っている基礎的なものなので、世俗の善いものに役に立つように用いることができるのは当然ですが、逆に、悪いものに役に立つように用いられていることも、知る必要があるでしょう。むしろ、対話についてよく知らないと、自らが対話を知らず知らずに悪用してしまっていたりすることがある。...
はじめての人のための哲学カフェ です。
対話が苦手な人、対話なんてしたくないと思っている人、哲学なんて関係ないと思っている人たちに向けた、哲学カフェです。
はじめての人のための哲学カフェ です。
対話が苦手な人、対話なんてしたくないと思っている人、哲学なんて関係ないと思っている人たちに向けた、哲学カフェです。
「学校の勉強」となっているが、哲学の学校的知識ひいては哲学研究から得た知識と置き換えるとどうであろうか。