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Archive2月 2020

対話の金銭問答その三

問い: 対話するのにお金をもらうとすると、お金が払えない人を排除してしまわないか 答え: 全くその通りである。 お金を払ってまで対話しないような人を、対話しようとする人は排除すべきである。また逆に、対話するのにお金を貰えば、お金を払う人なら誰でも受け入れるという条件を提示していることになるのを忘れてはならない。 補足 「お金が払えない人を排除してしまわないか」というのは問いの形をしていますが、単なる懸念です。どんな懸念であるかを考え、突き詰めていくと、吐き気を催すような気持ちの悪いものに出くわします。 子どもからお金をとるべきではない?子どもにはお金を払うべきである...

対話の金銭問答その二

問い 対話なんて役に立たないものを仕事にできるのか。 答え できる。なぜなら (2.1)対話が仮に役に立たないとしてもそのもの自体で価値をもつから。さらに、(2.2)対話が役に立たないというのは誤解である。対話はあらゆることに役に立つ。社会的に善いことにも、悪いことにも役に立つ。 補足 対話の悪用についての認識 とりわけ、対話は悪用されるという点について補足したいと思います。対話は社会を作っている基礎的なものなので、世俗の善いものに役に立つように用いることができるのは当然ですが、逆に、悪いものに役に立つように用いられていることも、知る必要があるでしょう。むしろ、対話についてよく知らないと、自らが対話を知らず知らずに悪用してしまっていたりすることがある。...

対話の金銭問題

対話の金銭問題とは次のようなものです。

何にも役に立たないと思われている対話にどうして人々が金を払うであろうか

対話の金銭問答その一

そんな役に立たないものを仕事にするなんてことができるのか

対話の金銭問答その二

対話するのにお金をもらうとすると、お金が払えない人を排除してしまわないか

対話の金銭問答その三

お金のために対話をするとすれば、それは対話を仕事にしているのであって対話を遊びとしてやっているのではないから、対話がお金を稼ぐ手段になり、対話することを目的としないではないか

対話の金銭問答その四 (執筆中:非公開)

とりわけ西洋哲学の伝統を学ぶ意義は何か

しばしば以上にほとんどの場合、官庁や病院や大企業でさらにはともかく誰かに雇ってもらうなどという仕方であくせく働いていては、クソ真面目なりすぎて哲学ができなくなると感じる。それもあって私は自営業・自由業にこだわっている。 忙しい日々のうちに湧いてくる疑問や人間関係での悩みや組織への反発は哲学の材料としては格好のものではあろう。しかし、それ以上に、哲学にとって本質的なことをクソ真面目さが害してしまうように思う。 西洋哲学の伝統のうちには遊びやふざけがある...

同じ素人であるところの、子どもと哲学するとは?老人と哲学するとは?

昨日は子どもの哲学のワークショップに午後に行き「子どもと哲学するとは?」、そのあと夜には哲学塾カントに行き「老人と哲学するとは?」を問うことになった。後者が前者を照射するその仕方はなかなか面白いものでありうる。 Sharing experiences in philosophy for/with children in Asia  闘いの対話か配慮の対話か...

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